ねじまき鳥が世界のねじを巻く。

おわかりになりますか?
良いニュースというのは、多くの場合小さな声で語られるのです。



僕は村上春樹が大好きだ。
高校3年のときに彼の全ての小説を読破して以来、どこに引越しするときも全ての文庫本を必ず一緒に持って行き、コーナンで購入した小さな本棚に入れておく。
それは何だかお守りみたいに思えるんだ。


寮の近くのラーメン屋でお昼ご飯を食べていたら、クーリエ・ジャポンという最近創刊された雑誌があって、ラーメンを食べ終わったあともずっと熱心に読んでしまった。


それは、村上春樹について書かれたN.Y.タイムズ誌の記事があったからだ。
記事の内容としては、現在日本の作家の中で世界で最も多くの支持を持ちつつあるのが村上氏であること。これまで人気があった国としては、中国、韓国などのアジア、ドイツ、フランスなどの欧州圏が中心であったが、最近になってアメリカでも熱があがってきているらしい、ということ。村上氏が日本の文壇と関わりを持つことを拒むこと、そしてその理由(簡潔に)。そして村上氏の作品は、日本の文学をダメにしているのか!?
などなど、エトセトラである。


僕は村上氏の作品を他の人、日本の有名な批評家や文壇の方々(文壇って一体何だ)がどう書こうと、あまり興味はない。
彼が中学高校と10代において、一切の日本の小説作品を読まず、海外文学に触れて育ったことが、現在の彼の文体に繋がっていることには興味ありありだが。
でも春樹の作品がどうして、日本文学をダメにするんだろう?

記事によると、彼の文章は、一文章が短く、翻訳的で、ストーリー展開が速すぎるそうだ。
ふーん。
そういえば、そんな気がしないでもない。


でも、小説を大好きな人ならわかるはず。
好きな作家の文章って、読んでるだけでいいんだ。
ストーリーなんて一回読んでしまえば、だいたいのことは分かるし(推理小説とかね)、別にひとつの文章が短くたって、読んでいて文章の味わいが不足することもない。


村上氏の文章は、読んでいるだけで落ち着くんだ。
これがすごい。
僕が彼の文章の中で一番好きなところは、主人公が冷蔵庫の中からあり合わせの料理を作るところ。コーヒーを煎れるところ。そしてアイロンを順序よくかけるところ。洗濯を手際よくするところ。音楽を聴いているところ。などなど。
つまり、ストーリーとはまったく関係のない、僕らの日常生活そのままを描写しているところだ。これがすごい。
彼の文章は読んでいると、無償に腹が減る。コーヒーを自分で作りたくなる。ジャズを聴きたくなる。普段はめんどくさい洗い物だってしたくなる。当然、女の子といちゃいちゃしたくなる。
なんでだ。
彼の文章が、僕の五感をめちゃくちゃ刺激するからだ。
たぶん、、、
そう思う。


だから、今読んでる「ねじまき鳥クロニクル」だって、なんと3回目だ。
この本は、とてつもなく長い。
3巻合わせて、軽く1000ページ以上だ。
でも本なんてものは長けりゃ長いほどいい、ときもあるよね。
だから僕は今日も春樹を読む。うん、間違いないっす。

というか、僕はこの日記で何が言いたかったんだっけか。。
あっ春樹は世界では受け入れられているけど、日本ではどーなの?
ってことでしたね。

うーん。
というか、僕の周りで村上春樹を好きな人なんて、ほとんどいないし。
やっぱり読者の数は減ってきているのだろうか。
 
今日は眠いので、このへんで。
春樹については、これからも書いていこう。
なんか落ち着く。


それにしても、良いニュースが少ない。
というか、ない。。

もうすぐクリスマスですよ。
今年は3連休ですよ。
キリストも酷なことをしますわね。。。